やっぱボク、ホームランが好きなんだなぁと改めて思った。観ている僕らの願いを乗せて高く遠くへ消えていくボールがスタンドに入った時、スタジアムの熱狂が最高潮に達する。どよめきを演出したヒーローはゆっくりとダイヤモンドを凱旋してホームインしベンチ前でチームメイトと喜び合う。劣勢のピンチを一気に逆転するカタルシス。最後の最後の一発逆転は体中の血を熱く滾らせる。最高にカッコいい。やっぱりボクはホームランが前前前世、違った、大大大好きだ。おぐーです。
9月30日は鰻の日。
土用の丑の日の次に鰻ブーム来そうだった9月最終日。
鰻は去り、4時間練習が生まれた。
思えばこの時、おぐーの数奇なる9月30日の運命は決まったのかもしれない。
9月23日の練習をワクチン接種に備えて回避したおぐーはこの日の4時間練習を楽しみにしていた。元々は成田で練習試合という日程が緊急事態宣言で中止となったため松戸運動公園で4時間練習をすることになった。それだけでなくマリンスタジアムでのロッテ、オリックスの試合を観に行く予定も入ったので自分達の力で運命を克服したと、そう思っていた。
元の予定が
成田で練習試合と助っ人試合、ついでに(ついでに?ホントに?w)鰻を食べる。ポイントに換算すると練習試合が20PT、助っ人試合が20PT、鰻が200PT(メインディッシュじゃんw)
新しい予定が
松戸運動公園で4時間練習、マリンスタジアムでロッテオリックス戦観戦。ポイントに換算すると4時間練習が40PT、試合観戦が400PT。おおざっぱにダブルスコアで新しい予定が勝った。
運命は変えられるんだとボクはその時、思っていました。でも・・・・・・。
去年の秋、忘れもしない4時間練習。サードで中村おかわり剛也師匠になりきって守備練をしていたら普段しない筋肉の動きをしてしまいふくらはぎをミートバイバイしてしまった。あの時は痛くて悔しくて自暴自棄になってしまった。3週間も練習も試合も出来ない不甲斐なさに、なんで自分だけこんなに怪我をするんだろうと運命を呪った。なんで怪我をしがちなのかはだいたいわかってはいる。まず落ち着きがない。常に動いている。そして集中力散漫。たまに空を見ているジジイみたいになってる。蝶が飛んでると目で追ってたりする。さらにコスパの悪い体。重い体を無理やり舞わせているので腹は減るし汗は出るし筋肉は疲労する。ダメ押しで絶賛劣化中の肉体。若い頃とは違い、硬くなってる筋肉は柔軟性に欠け損傷しやすくなっている。それら全ての要因を併せ持った当人が、加減のギアが0か100かしかないと揶揄される運動をしたらどうなるか火を見るよりも明らかなのである。
0。永遠のゼロ。
0%出力の運動だと怪我はしないけど全く楽しくない。
100。全力のフルパワー。
100%出力の運動にボクの肉体は追従してくれないけど全くもって楽しい。
わかります。
人間の脳って自分の体が壊れないように出力を抑えているって話。ヒトが発揮できる運動能力を100%発揮したら、筋断裂、骨折するって話だし。人間は無意識のうちに力をセーブして怪我しないレベルの運動しかしないとか。
ボクは人より若干そのタガが外れているようで、耐えきれない負荷の運動をいつもしてしまう。漫画の主人公とかがボス戦とかで「もうこれで終わってもいい。だからありったけを・・・」とか言って凄いパワーを発揮した後にダメージに苦しむのなら意味があるから良いんだけど、ボクの場合はちゃちい練習で「なんだか練習とても楽しい。だからありったけを・・・」とか別に思ってないのに意味なくありったけのパワーを発揮し、自らの大切な体を破壊する破壊神となる。
そして問題なのはその教訓がすぐに吹っ飛ぶ事だ。まるでキングクリムゾンが時を吹っ飛ばすように実際にあった教訓が無かったことになってしまうのだ。
もしボクがスタンド能力を持っていたとしたらそれはたぶん「教訓を吹っ飛ばす能力」だと確信している。普通、スタンドや念能力は本人の生まれた環境や渇望する意志によってその能力を発動させるはずなのだが、ボクの異能力バトル能力が「教訓を吹っ飛ばす能力」だとしたら一体、ボクが渇望する意志とは何なのか。まったくもって不可思議と言えよう。
意図的に好意的に捉えるとしたなら「過去の成功体験からの意志ある脱却」と捉えられなくもない。人間や会社は過去の成功体験に囚われがちである。二匹目のドジョウという奴である。環境や条件が変わっていて、今度は異なるアプローチをしないと上手く行かないのにどうしても過去の成功体験に引きずられてしまう。
過去の成功体験や失敗体験というのはこれからをどう戦略的に生きていくかの重要な指標であるとともに罠でもあるわけだが、毎回新しいチャレンジをしているのであればその都度その新しいチャレンジを新しいアプローチでクリア出来れば過去など関係ないのだ、とどうも思っている節がおぐーにはある気がしてならない。それがおぐーのスタンド能力「教訓を吹っ飛ばす能力」なのかもしれない。これは人の話をよく聞かないというダメ出しにも繋がっているおぐーの根幹を成す特質なのかもしれない。
そしてこのスタンド能力が悲劇を再生産し、ボクは再び怪我の治療という牢獄に捕らわれてしまったわけである。また安静2週間、全治3週間宣言を頂きたくも無いのに頂いてきた。非常に気落ちしている。がっかりだ。こんチクショウ。
ま、それはそれとしてマリンスタジアムまでに2週間あるので何らかの方法で前倒してマリンだけは普通にプレー出来るレベルにはしようと思ってますけどね。おぐーなら出来ると信じている。自分の事を自分が信じてあげなくて誰が信じてくれるというのだ。絶対に大丈夫。カイトは生きてる(生きてませんでしたけど?転生はしてたけど)頑張れ自分。
一応この日の個別の練習の話も書いておきます。普通にキャッチボールして普通にボール回しして普通に内野ノックして普通に条件付きフリーバッティングしてっちゅう練習でした。
キャッチボールは今日は監督とした。最近キャッチボールがほんと面白い。言葉のキャッチボールは苦手だけどキャッチボールは面白い。だけどキャッチボールも面白いけど上手くはない。悲しい所だけど。でも別に上手くなくても面白ければ良いんじゃないかな。高校球児になって甲子園を目指すわけでも無く仕事でやってるわけでもないからね。バラエティーに富んでいる事が面白さを生んでいると考えられなくもないしさ。理由は不明だがどうしても安定して送球が出来ない。ワンバン、頭上オーバー、ストライクと同じように投げているつもりでもまったく投げてみないとどこへ飛んでいくかわからない。No Baseball No Noconという奴だ。ナカザーが指摘してくれる通りだとすると最後まで指にかかっている時はコントロールが利き、上に投げている時はダメだという。ただどうしてその2種類の送球が出来るのかが本人にはわからない。ここの謎を解明出来れば、飛躍的にキャッチボールが上手くなる可能性も孕んでいる状況は悪くない。いつも練習に参加する人の中で監督、えふわらん、つかさん、殿がミラーズの中ではちゃんと投げられる希少部員。JRとレッドフォックスは肩があるけどもっと生かせるはずと思われる希望部員。円熟の上手みがあるのがナオミスター。とりあえずおぐーは90km、出来れば100kmのストレートを投げられるようになりたい。難しいとは思うけどそこらへんまで出来ればもう何も思い残すことは無い。キャッチボールに関しては。キャッチボールっていうか投球になっちゃうのかも知れないけど。だってそれが出来たらあのプロの内野ボール回しのスパンスパン感が表現出来るかもしれないわけで、やっぱり草野球やっている人間としてはあーいうのやってみたいですよねぇ。
最近キャッチボールだけで満足してたりするので、ずいぶん変わったと思いますよ。昔はキャッチボールなんてまったくそそられませんでしたらかね。まったく野球をわかっていなかったって今はそう思います。
次はボール回し。苦手演目(゚∀゚)キタコレ!!
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