練習は中止になったが元々今日は練習の日ではなかったのでもとの予定の通りになっただけであればいってこいでしかないので残念がる必要すらないのではなかろうか。
世間一般ではお盆休みに突入した。
個人的には午前から午後中盤まで働いてそのまま野球の練習に突入する予定が後半の予定変更を余儀なくされたわけだが、最近仕事に旅行に忙しかったので久々の連休に足を踏み入れてホッとしている。
雨のお陰で気温も低く、片付けものをするのには最適な一日となった。甲子園を見ながら時間を贅沢に使って片付けものをする。こんな余裕のある時間の使い方が出来たのはいつ以来だろうか。
年金生活者とかは毎日がそんな感じなのだろうか?
そんなことを思いながらミラーズの連中のために買ったもみじ饅頭を頬張っていた。まさかの監督とお土産被りをしたため不要となったボクの分を自身で食す事にしたのだ。
濃い緑茶を飲みながら食べると最高だ。
台風というイレギュラーで潰された時間を知恵と工夫で有意義に使う。そんな頭の切り替えもまた楽しいではないか。
人生、これしかない!と思い込むことはない。道はいくらでもあるのだ。今自分が生きている人生は数多くあるルートのひとつに過ぎない。自分の意思ひとつでどんなルートも選択できるのだ。千葉に住んでいるから千葉にコミュニティーを作って生活しているが、じゃあ北海道に住めないのかと言えばそんなことはない。北海道に住めば北海道にコミュニティーが出来てそこでまた新たな人生が始まる。そういう変化はむしろ楽しいとすらボクは思うのだ。ポツンと一軒家や移住した人たちを見ると、自分がそこにいるからそこに人生が生まれると感じる。要するにどこにいたって何をしたって自分自身は変わらない。だから自分に素直に生きていればどこでだって生活できるということなのだ。そう考えると凄く楽になる気がするではないか。
ボクは今の仕事がたまたま上手く行っているから惰性でこの生活が続いているが、まぁ失敗して廃業となればあんなことしようかな、こんなことしようかなと考えていることは色々ある。やりたいこといっぱいあるしまあ、やってみればなんでも出来るんじゃないかという根拠の無い妄想のようなものがある。
もちろん歯医者のような高所得で責任が付いて回る仕事をしている人たちはそうは行かないだろうけどボクの場合は幸運というのかそういう類いの仕事ではないし。
人生は無い物ねだりな所があると思いませんか?
お金がなければお金がある人を羨むし、暇が無ければ暇がある人を羨むし、コミュ障であればコミュニケーション上手な人を羨むし、不細工ならイケメンを羨むし、運動ベタならスポーツ万能な人を羨むし。
でもだいたいどれかがあるとどれかが欠けるし、みんなだいたい人に羨ましがられる所を一つは持ってたりする。それがどれだけ人から見ると貴重で得難いものかを自分自身が気が付かないうちに持ってたりする。
そういう意味でみんな平等なんですよ。
大切なのは「自分が何を持っているか」ではなくて「意思をもって、必要だと思ったことに対して努力できるか、そしてその努力を継続し得るか」という資質だとボクは思う。
能力があっても慢心して何も努力を続けない人はプロ野球選手になったとしても、その人より元々持っていた能力が低くても努力を継続し続けた人に負けていく。そして努力を始めなければ戦力外となって去らざるを得ない。厳しい未来が待っている。そして愚痴る事になる。俺の方が上手かったのに、とか。
努力する事を厭わない人間は積み重ねが出来る。そしてそれは周囲にちゃんと認められ評価される。そういう人間は強い。ボクはそういう人間を身近で見ているのでいつも尊敬している。飽きっぽいボクには到底出来ない不断の努力を続ける人間は速度は別として成長を続ける。そしてそれは時間の経過と共にその人を支える大きな力となる。
だから努力を続ける事が出来る資質が人生では一番必要だとボクは思うのだ。
その資質をボクは持ってはいないけど、一番大切な事だとはわかっているので持っていないなりに時に挫折しそうにもなるけど色々なことに努力し続けられる人間にいつか近付きたいと思っている。
愚痴らないこと。妬まないこと。努力し続けること。難しいけど大切なこととして頑張っていきたいですね。
台風で街が止まった。時間は割と悠久に流れている。こんな日もたまには良い、と思った。
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