怪我

怪我をした。いつも試合で怪我をする。

八千代、千葉連合と習志野の練習試合に参加してライトからセカンド後ろに落ちるボールを取ろうとして足を怪我した。

その一週間後の殿が参加してるバンデックスのチームの試合に参加して一塁まで走ったら一週間前の怪我が再発しておまけに左足付け根まで痛くなった。それだけでなくキャッチャーフライにダイブして左腕を擦傷した。

痛い。色々なところが痛い。

そこまで頑張る必要もないのに気が付いたらオーバーワークで体を壊している。いつもそう。なんでそこまで突っ込んでしまうのか自分自身でもわからないのに怪我をするまで勝手に体が動いている。

負けず嫌いなわけでもなく、むしろ冷めている方で、運動なんか運動が得意な奴らが勝手に楽しんでいれば良い、ボクは本でも読んで知らない知識や世界を知る欲求の方が高い。運動で食べていくわけでもないのだから散歩程度に運動が出来れば良いと基本思っている。

のにだ。

試合をやると終わる頃には怪我をしている。何か矛盾している気がする。

試合をやると相手とのスキルの差がプレーを通じてちゃんとわかるのでボクにはあそこまでは出来ないと痛感して悲しくなる。ボクはボクで他のスキルをちゃんと持っているわけだが野球をやる上ではそれは関係なく、野球の時は野球のスキルだけが必要で。

毎回同じ感想にたどり着くのだがなんで野球をやって自虐的な思いをしないといけないのかなと思うことがある。

運動自体は楽しいし、やるからには自分の出来るだけをやろうと努めるし、充実感もあるし、達成感もあるし、やってみれば、練習して、試合して、それをやらなきゃ良かったなんて思わないけど、明らかにやりたいことにたいしての技量が足りてないのにそれをする必要がある時の残念感に心の中でまた涙した。

やっぱり出来ないことがちょっと、だいぶ、悔しくなる。

それでも出来ないなりに楽しんでしまえる自分の節操の無さに呆れてしまう。

楽しい、つまんないで言えば、だいぶ楽しかった。ずっとずっとやっててもたぶん楽しいと思う。あくまでボク個人の話で言えば、あくまで下手の横好きという話で言えば。それで良いならそれで良い。でもそういうわけには行かない。チームスポーツは。

もう今さら出来るようにはならないとわかっているけど、楽しいと思えることで力を発揮する能力が備わっている人はとても幸せだと思う。才能なのか努力なのか知らないけど。

そういう意味で練習は「夢を持てる時間」で試合は「現実を知る時間」ではないかと思う。だから練習が好きなのかな。試合はやっぱり足らないんだと突きつけられる答え合わせの時間になってしまい、それがたぶん悲しいのだ自分は。それでもその何もかもが足りない中で試行錯誤しながらするプレーはとても楽しい。毎回にちかく怪我をするブレーキブレイキングぶりには我ながらほとほと呆れるしかない。

急遽代理でやったキャッチャーだけどボールのキャッチングとか、出したサインに首振られてじゃあと出し直したり出したサインが妥当だった時とか、出したサインが一発OKだったり、最高のボールで三振取ってピッチャーが吼えてたりするの体験するとキャッチャーって面白いよなと思う。ボクに出来るのは精々ボールをなんとか捕ることだけだけどそれでも中々の楽しさを味わえた。送球やその他がちゃんと出来る人はもっと面白いんだろうなと思うが、チームが負けてるのに面白かったとか言う度しがたい最低メンタル持ちの人間にはそんな高度な面白味など一生味わえるわけも無い。まあ別に良いけど。

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