マリンとかドラフトとか

日曜野球、しっかり優勝してきました。今年は結構ヒット打てたなぁ。5年位前は1年間ノーヒットみたいな時もあったのになんだか隔世の感があります。石の上にも三年。桃栗三年柿八年。今がダメでも未来はどうなるかわからない。信じて頑張れば良いこともあるんですねぇ。相変わらずホームランは打てないけど、とりあえず自分に出来る事をコツコツとが大切ですね。おぐーです。

なるべく毎日接骨院に行って電気をかけられてはマッサージされを繰り返す日々。良くなっているんだかなんだか良くわからないけどおとなしく治癒に勤しんでいます。こんな地味な治療を続けているのはひとえにラストマリンを楽しもうという思い。これに尽きます。

まだミラーズに参加していない頃に初めてゲスト参加したマリンカップ。たしかマックスコーヒーバットを引っ提げて参加したっけ。マリーンズのイベントユニを伊藤君に借りて参加したのを覚えています。信じられない事にあの頃おぐー、野球のユニフォームなんて大伸会野球部以外持っていませんでした。なにせ埼玉西武ライオンズのファンにすらなっていなかった時期です。ファンチームもない、野球観戦も20年位ご無沙汰という今では考えられない感じでした。確かこの参加時に、殿と初めてあったんですよね。ストライクス(現ノックス)の水谷さんにもこの時が初対面だったかと思います。

大伸会野球部が休部状態のままいつまで経っても復活しない状況で、試合に関してはファミールで継続出来ていたけどやっぱり練習の方が好きなので練習環境を求める形でマリンに参加した翌年の4月からミラーズの練習に参加させてもらうようになったのを昨日のように思い出します。おぐー人見知りだから中々伊藤君以外の人と話も出来なかった気がします。顔と名前を一致させるのに半年ぐらいかかっていました。今の状態からは信じられない事ですが。

いまでこそ尊敬する身近な師匠、むらやまんも三国歯科医院にしょっちゅう金属の回収で来ていたみたいですがおぐーの記憶には全くなく、ミラーズで甲子園に出た凄い人が練習を付けに来てくれているという認識後にそういえば三国歯科医院にも来ているという認識の流れでした。むらやまんという存在の認識が野球からというのもだいぶ周りを見ていないボケっとした人間なんだなと自分自身感じます。

練習に参加するようになって半年、あれはデンタルカップ後の焼肉後の2次会だったかマリンカップ後の焼肉後の2次会だったか、そろそろミラーズのユニフォームを作るという事になって背番号を考えたけどその場では決まらず持ち帰りとなって最終的に60番に決めました。翌年の3月に60番のユニフォームがあがってきた時は本当に嬉しかったですね。やっとミラーズの仲間入りを果たしたって気がしましたよ。それと共に60番という番号と一緒にボクの草野球体験が本格的に再稼働し始めました。この番号に決めた理由が埼玉西武ライオンズで6度のホームランキングに輝いた偉大なるホームランバッター、中村剛也選手からの暖簾分けだったので(勝手に暖簾分け。玄関開けたら2分でご飯、いきなりステーキ、みたいなノリです)、この時点でたぶんおぐーは山賊打線初期の埼玉西武ライオンズのファンになりかけていたのだと思います。伊藤君は売り出し中のパワー系ホームランキング山川の背番号33の方がおぐーのプレースタイルに近いのでと33番を薦めてくれていました。今にして思えば33番も良かったかなと思います。

この年に参加したマリンカップでおぐー、初めて2塁打を打ったんですよ。あの時は本当に嬉しかった。2塁ベース上でぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだのがまるで昨日の事のようです。

その後、2回マリンカップに参加しました。確か3回目のマリンカップでは千葉北から乗った高速で幕張出口が混雑で1キロ渋滞で回避したら市川インターまで降りられず遅刻しそうになったマリンカップで確かその時初めてしまじろうを見かけました。その堂々たる風格や年齢は若そうでベイスターズのユニフォームを着ていて野球経験者っぽく見えたので「あ、この人は例の相田化学の野球関係の人なんだ」と勘違いしていた記憶があります。野球のプレーを観ればそうじゃない事は一目瞭然だったのですが、写真を撮るのに忙しくて。

その翌年のマリンカップは雨で中止になり、暇潰しに載せてきてしまった伊藤君と共にレッドスタジアムで室内練習で伊藤くんのスライダーをキャッチャーとして捕球して憂さを晴らしたのを覚えています。伊藤くんのスライダーがエグくてキャッチャーミット内の親指が持っていかれそうになって泣きながらキャッチャーやってました。スライダーが痛いし怖いしで。でもボールを捕球するのは何故か楽しいんですよね。もう病気だと思いますボク。ピッチャーの球をバシッと捕るのが快感で、また捕りたくなってしまうんです。下手くそですけど、おぐーの経験からするとリトルの2年生位がキャッチャーをやっていると思えば良いので、そう思うと始めたばかりの割には悪くないじゃないですか!小学2年生ですよ?大したもんじゃないですか!柏との練習試合でおふざけでキャッチャーを初体験してから、まるで出来やしないし意味も不明だけどとりあえず捕球行為はカッコいいからキャッチャーも野球体験の一環としてはアリかな、というまるでデタラメな思考回路でキャッチャーもやり始めて新たな面白を発見しました。バッティングの次に面白いかな、キャッチャー。

最後のマリンカップ体験ではなんとそのキャッチャーをさせてもらったというね。捕球くらいしか出来ないのにマリンカップでキャッチャーをやっちゃうって結構大胆ですよね。でもそれを許してくれるミラーズというチームの懐の深さと、とりあえずいっちょ噛みしとこうかという好奇心の塊のおぐーのコラボレーションで実現したキャッチャーおぐーでした。里崎と同じ土俵に立たせてもらっちゃったわけです、ふふふ。

こんなに色々な思い出を作ってくれたマリンカップがまた今年も開催される。今年はどんな思い出が出来るんだろうと楽しみにしています。

ボクにとっては最後のマリンカップになるわけで、初心に戻りミラーズで頂いた番号の60番のユニフォーム、ただしミラーズのではなく埼玉西武ライオンズのボクの最初のホームラン師匠である中村おかわり剛也師匠のユニフォームを身につけて参加させてもらおうと思います。

最近はマリンスタジアムへも何度も試合観戦に行くようになって、あの場所がプロ野球が開催される本物のプロ野球球場であるという認識を強く持っています。時間的には売店に行ってカレーやアイスを買っている時間も多いですが、最近はプレーに魅了される時間もかなり増えてきています。最近ではT-岡田の逆転3ランホームランに魅了され、エキサイティングな体験をしました。

よくよく考えればそんなプロ選手が躍動する場所で、草糞野球選手であるおぐーが草野球をプレーするなんて贅沢極まりない凄すぎる体験をするわけです。

もうね・・・・・・。感無量です。

こんな体験が出来るのもミラーズの皆さんと一緒に野球の練習をしているからで本当に感謝の気持ちで一杯です。どうもありがとうございました。

肉離れ治癒中なので思いっきり走る事は出来ませんが、バッターボックスでは初心に帰ってボクのモットー「打てる球はストライク」という超積極広範囲打撃(言い方ポジティブすぎw 要は悪球打ち)でかっ飛ばそうと思っています。HUNTER×HUNTERで言うところのノブナガの間合いですね。この中に入ってきたら斬るぜ、みたいな感じです。居合の射程距離は狭いけどこの球体の中に入ってきたボールは容赦なく打つ、と言うわけです。長打か三振か。もうこの所存でございますよ、ええ、ええ。

もうほんとマリンスタジアムでのプレーを存分に堪能してこようと思います。あー、楽しみだぁ!

それと今日、ドラフトだった。すっかり忘れていた。それに関しても書こうと思っていたのだが、ごめん。

ねむ。

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