ヤクルトが優勝したようです。様ですと言うのは緊急の仕事をしていたから観ていなかったので。ニュースでゼロゼロの均衡を丸山選手がサヨナラ打と言っていた。神宮で優勝を決められたのは何よりのファンサービスでしたね。ヤクルト強かったです。おめでとう!
さて、もうご存じの通りボクは野球と言うものをわかってない人間代表のような者です。が、わかっていないと言っても虫食いでは知っているのでむしろたちが悪い。
ただこれだけ草野球をやってきて、わかったことがある。
野球はチームスポーツでもあり、また個人スポーツでもあるという事です。
今日優勝したヤクルトを含めてどんなチームも毎回活躍する選手はいない。村上の今の惨状を見ればわかると思うが人間である以上、どんな人間も野球バイオリズムというものを持っている。丸山選手が誰だかボクはさっぱりわからないがボクの知らないヤクルトの選手が天王山でチームを優勝に導いた。それが野球の本質だと思う。
好不調の波、スランプ、ミス、イップス、揺蕩う調子の波に翻弄されるなか、野球をやっている。大きく言うとその選手の集まりであるチームも野球バイオリズムから逃れることはできない。
もともとボクは個人スポーツであるバドミントンをやっていた。基本的に個人主義の系統なのでチームスポーツにさして興味を惹かれなかったからだ。それなのにシングルスよりむしろダブルスの方が競技としては上手く行っていたので志向と能力というのは本人にはままならなかったりするのが面白いところだ。ボクなんか超勝手なのにね。
この前のピッチャー体験で一応全ポジションの体験が出来た上での話だけど、野球はやっぱり誰かに頼って良いスポーツだと思う。そしてみんなが助け合って試合を乗り越えるスポーツだとあらためて思った。
これを言うと草野球選手失格だと思うのであまり公言はしたくないのだが、ボクは守備自体面倒くさい。なので出来ればピッチャーが三者三振させてくれないかな、とかボール飛んでくると面倒くさいな、とか内心思っていたりする。完全に他力本願なのである。
よく守備の要はセンター線と聞く。センター線ってピッチャー、キャッチャー、ショート、センターですよね?
確かにわかります。
ピッチャーはオレオレ主義、キャッチャーはチーム全体を見れる懐深い人、ショートはめちゃ上手い人、センターは確実で足が速い人とチームの主力級の選手がやってますもんね。
ボクはそんな人達の試合を引っ張ろうという情熱から一歩引いて、傍観者としてライトでライトに守備に参加するのが常でした。当事者意識が凄く低い酷い選手でした、というよりです、なのかもしれないが。
でもこの前ピッチャーをやってわかったんですが、傍観者になれない、当事者にならざるを得なくなるともう本当に誰かに助けて貰ってるのがもう身にしみて良くわかったんです。
「打たせるピッチャー」じゃなくて「打たれるピッチャー」を演じて良くわかりました。
守備陣に捕って貰わないとボクは何も出来ないしどうすることも出来ない。すべて助けてもらって成り立っていたんだと気が付いたんです。
ボクは面倒くさいなと思いつつやっていた、誰かを助けるつもりでやっていたわけでもない、打たれたから捕るというだけの意識だった守備も、意識が高い低いかは関係なく、チームの役に立っているし、誰かの役に立っている重要な役割だと悟ったんです。
ナイスキャッチー、とかワンナウトーとか声を出してますがあんまりそういう意識がなく、アウトカウントを重ねることで自然に声を出しているだけで大切なことを重要視出来ていなかったなと。
下手くそだから落球してみんなに迷惑をかけるかも、とか、打てないからチャンスにボクのせいで得点できないかもないかもみたいに考えるのはそもそもおかしい。そんなのお互い様だし、そんな上手く行かない時は味方を頼らない選択肢などあるものかと。
守備の時の中継って難しく考えるからややこしいのであって「助け合い」と考えるとごく自然に出来る気がしてきた。
ボールを追う。ボールが一人じゃ運べないからバケツリレーのためにもう一人が追う。状況に応じてどこに投げれば良いのか教えてあげる。みんなの助け合いだ。助け合うという意識が培えれば自然と形になるはずだ。
だから傍観者でいてはダメなんですね。
ボールを打つ、ボールを捕る、ボールを投げる、走るという行為、技術自体は個人スポーツのそれだけど、それをシチュエーションでどう活かすかはチームスポーツのそれになる。
盗塁したときはそれを援護するためにバットに当てない、逆に盗塁が間に合いそうになければバットに当てて刺されるのを防ぎ助ける。一点取ればサヨナラの時はピッチャーを勝ち投手にする手助けでランナーをホームに返すバッティングに徹する。チームの仲間を助けるためにどうするかを考えると自ずと適切なプレーが選択される。それを出来るかどうかは個人スポーツの領域となる。
ボクがいまいちクレバーなプレーが出来ずにいたのは当事者意識が足らず、味方を助ける、活かすという観点が欠けていたからなんじゃないかと気が付かされた。逆に考えればそこを意識出来たのであれば、今後のプレーも変わってくるはずだと自分自身に強く思う。
不調の村上が回復しないまま、それでもヤクルトがチームとして優勝出来た状況をみて、やっぱり野球は一人だけの力ではなく、みんながチームを支え合って成立するスポーツなんだと思いましたって話。
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