12月も約半分終わり、いよいよ年末モードになってきました。最近は野球にあまり参加出来無いのですがなんかこれはこれで体が休むなぁと思ったり。
野球をやるのは好きなんですけど、目標を持ってやって未達で落胆してというのを繰り返すのに少し疲れてきた感があったので来年から野球、どうモチベーションを持っていこうかをのんびりと考えています。
あ、深刻な話じゃないんですけどね。
どんな時に楽しいかなって思った時、やっぱりちゃんと出来た時がとにかく楽しいんですけど以外にもちゃんと出来なくてもトライして失敗した時もなんか楽しいんですよね。
逆にあんまり楽しくない時は、セオリー通りにやってそれについていけなくて自分が出来なかった時に「なんでやりにくい事を無理にやって失敗してまでセオリーに乗っからなくてはならないのか」と思う時で、何のためにセオリーに従おうとするのかがわからなくなってモヤモヤするときです。
ファミールの最後の試合の時も手首の返しを教えて貰ったのは良いのですけど、出来ないんですね、難しくて。他の人は皆出来るんで簡単そうに言うのですがボクには出来なくて。
野球は上手くなりたいと思うからセオリーに従うことで上手く出来るなら従うけど、ボク、どうもセオリー通りに体が動かなくてダメなんです。だからセオリー通りにやろうとすると何て言うか動きがぎこちなくなるというかのびのび出来ないというか。
上手くなるには必要なことなんだろうけど、出来ないことを自分に強いていてもなんだか気が滅入ってきますよね。
それでも今まではそれに従おうとしてやってきたけど、もういいかなって。
ボクは野球は好きになりましたけど、セオリー通りにやるために野球をやっているわけじゃない。
セオリー通りにやれば上手くなるかなと思っただけで、それに縛られては本末転倒なのである。
ストライクが打てない、とか投げ方が変とか、気にしだしたら数えきれないけど、それはボクの枠からセオリーが外れているだけでセオリーがボクについてこれないだけでしかない。
ストライクが打てないなら糞ボールをかっ飛ばせば良いだけだし、投げ方が変でもその投げ方でスピードやコントロールを出せば良いだけなのだ。
セオリー通りに出来ないことを負担に思うのではなく、セオリー外の動作で野球に適応する方法を模索するのが自分に合っているなと思っては居た。
日曜野球を辞めた事でボクの野球はある意味10年前のスタンスに戻ったと思う。
あの頃は本当に自由で何をするのも新鮮で、出来ないことが当たり前で見る光景全てが楽しかった。
その頃に比べるとボクの野球感はピュアでは無くなっていて、ホームランが打てるんじゃないか、とかボールを捕るだけならキャッチャーも行けそう、とか欲が出てきて初期の頃の純粋さがなくなってた。
練習と試合を積み重ねてきたから次は何を出来るようになろうとかを追い求めすぎて何も出来なかったあの頃の本当に無心に楽しんでいた気持ちが懐かしくなった。
色々出来ることも増えてきたけど、やっぱりボクは何にも出来なかった頃の、野球をやっていた時の気持ちや意欲でまた野球をやりたいと思った。
なので来年はまた一から野球を始めたいと思っている。
自分が打てるんじゃないかと思うボールには全部手を出してフルスイングする爽快さ、楽しさ。
守備もフライは必ず落とす、ボールはトンネルする、守備位置もおかしい、でも捕ってやるぞという意気込みだけは持って守備する大胆さ、楽しさ。
どこを守っても低いレベルなのでどこでも同じレベルで出来ると公言して憚らない図々しさ、楽しさ。
周りの上手い人のプレーを見て楽しみ、盗もうと凝視し、同じプレーにトライしてみて出来ない残念さ、楽しさ。
夢が一杯詰まっていたあの頃の野球に対するスタンスを取り戻してまたとにかく楽しく野球をやるのが来年の野球に対するボクの目標だ。
歳もとってあの頃と同じように無茶をするとたぶん肉離れするけど、野球を始めた頃のようなワクワクする野球体験をまた来年以降もしていきたいと思っている。
日曜野球を思いきって辞めたからこそ気持ちを新たに出来たと思う。何かを辞めるということは決してマイナスではない。それは新たな展開の苗床となり再スタートをきる絶好のチャンスとなると思う。また野球を一から始める気持ちで出来ると思うとなんだか凄く楽しくなってくる。メチャクチャやって良いんだもんね。もう一生初心者スタンスでいいやw
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