水曜日に重鎮ズと西武ロッテ戦の観戦に行くことになっていたんだけど、最近外崎と中村のバッティングの調子が良いみたいなのと図らずも首位決戦となっている対戦カードがマリンスタジアムで火、水とやるという日程に、急遽今日火曜日に単独観戦に行ってきた。
ボクが野球観戦でわざわざ球場まで単独観戦に行くことは非常に珍しい。デブ症なので球場まで足を運ぶのが面倒くさいのだ。なにしろそこまで野球が好きなわけでもないボクは誰かに誘われたりしないと重い腰を動かさないのでまあだいたいパ・リーグTV観戦となる。
ボクの野球に関しての夢は何個かあるがその中でも重要性が高いものが「ホームランを打つ事」「60番の背番号の暖簾分け師匠中村のホームランの放物線を生で観る」の2つだった。
その両方が望んでも望んでもずっと未達成でもうボクには縁がないのかなとほとんど諦めた状態だったのだが、今日ついに中村師匠の噂に聞く美しい放物線を描いてスタンドに飛んでいくホームランを生で観た。
8年間待ち望んだ瞬間だった。
その放物線は本当に美しかった。
山川のホームランの軌跡は規格外のパワフルなものでいつも度肝を抜かれる。柔と剛の「剛」の方。
中村のそれは本当に美しかった。柔と剛の「柔」の方。
だけど打った瞬間に入るだろう事は3塁側内野指定席に座るボクにも直ぐにわかった。
スタンドに伸びていく打球とベースをゆっくりと周る中村。
中村のホームランを見たのは今日が初めてなのでベースをゆっくりと周りホームへ戻ってくる姿を目の前で見たのは初めてだった。
山川や外崎では見慣れた光景なのに中村では今まで一度も見ていなかったというのは結構レアなことなのかもしれない。選手人生も晩年を迎え、ホームランの本数も減ったとはいえ本数でいえばそんなに多くない外崎のホームランはもう何度も観ているのだから確率の問題というよりは相性の問題で観れなかったのは明白だ。
ミラーズで背番号を60番に決めた時にはボクもいつかホームランを打ちたいという願いを込めた番号として60番を選んだ。その願いは未だに叶わず仕舞いで体もなんか痛かったりでもうダメだろうなと実際のところ心が折れている感じなのだが今日、師匠のホームランを生で観るというもう一つの夢が現実のものになった事がまだ信じられない。
あれだけ師匠とボクは相性が悪かったのに。
結構仕事の日程が詰まっているのに今日試合観戦に行くことにした理由のもう一つにボクの二択選択成功確率の低さがあった。どちらか選べと二択すると確率は50%のはずなのにボクは決まってハズレの方を引き当てる。統計学的に言うと異常値を示すぐらいにネガティブな結果になる。
だから思った。
外崎と中村のバッティングの調子が良いからホームランを観られるかもなと思って水曜日に行くことにしたけど、ボクの引きの弱さを考えると火曜日に行かなかったことを後悔する事になるんだろうなと直感した。
これはボクが方向的にネガティブな思考をする人間であるという事もあるが、これまで生きてきた経験則が全身全霊を以って訴えてきていたのが自分自身の事なのでよくわかるのだ。
量子力学的にいう「シュレディンガーの猫」である。物事の状態は観測するまで両方の状態を持ち、観測した時に状態が確定するというあれ。
ボクの場合は量子力学的に2つの曜日の選択肢があって、どちらかの曜日を選択した時に観測が実行されその曜日には師匠はホームランを打たないという状態が確定するのだと気が付いたのだ。
なので量子力学的に確定した事象を逆に利用してやろう、ボクの引きの弱さ自体を逆に利用してやろうとふと思ったのだ。
確定した水曜日の師匠ホームラン不発という事象。それと最近の外崎と中村のバッティングの好調具合。
この2つを掛け合わせるとある一つの推測が導き出される。
「量子力学的に、確率論的に火曜日に師匠はホームランを打つ」
なんでかわからないけどボクの頭の中でこの推測がピーンと浮かび上がってきて、火曜日に師匠がホームランを打つビジョンが確定的になった。師匠はこれまで8年間ボクの追跡を逃れ続けてきた性悪なのでおそらく火曜日に活躍し水曜日はスカだろうと睨むボクも性悪なのだろうがここはボクの勘ピュータと8年にもわたる経験則に従うのが良策だと絶対的な確信があった。
なのでチケットを取ってマリンスタジアムで観戦し、自分の力で願いを成就させてきた。
たぶんホームランを観た時、目が潤んでいたと思います。8年越しの夢だったですからね。さすがに・・・。
諦めずに撥ね返され続けてもトライし続ければいつかは叶う時が来る、かもしれないという事が分かっただけでも今日は本当にハッピーな日になった。予感のようなものがあっても自分で行動を起こさなければ結局今日のホームランも観ることは叶わなかったわけで、日ごろ自分で行動を起こし努力し続け、準備を整えておく事が偶発的にやってくる一瞬の瞬きのようなチャンスをつかめるかどうかの違いとなって現れるんだと実感した。
運の要素が強い「師匠のホームランを生で観る」という願いは叶った。
運の要素に自らの努力の要素も必要とする「ホームランを打つ」というもうひとつの諦めかけていた願いも、今日の経緯を考えると頑張ればまだ何とかなるかもしれないと師匠に勇気を貰った。師匠は今まで8年間もボクを苦しめた性悪だけれど、苦難の先に手にする良さもあるんじゃないの?と教えてくれたような気がする。
あんな美しいホームランを観たら自分でも打ちたくなっちゃうじゃないか。60番師匠、中村剛也はまったく性悪な師匠なのである。
ホームランは正義。やっぱりボクはホームラン、好きだなぁ。
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